きつねと鱈 (町軽井)

 町軽井の、かねづか、大久保などは、大昔はきつねが多く、きつねやち (狐谷地) などとよばれるところがある位です。
 いつのころか秋もおわりに近い頃のこと、陽もとっぶりと暮れてしまいました。冷え冷えとする夜気に、金蔵のじさまは夕飯のおかずに、たらを買って煮つけていました。するとそこへ本家の又治という若者が来て、「じじ、鱈を釣ったからその鱈の煮つけとかえてくれんけい」とたのみますので、「よしよし」と、じさは、その鱈をもって夜道へ出ました。
 夜おそくなってもじさまが帰いらないので、家の人 々は、提燈をさげて、じさまをさがしにいったら火葬場の四本柱のところで、ガタガタふるえながら火をたいて背中あぶりをしていたという事です。もちろん鱈は一ッ切れもありません。きつねが又治に化けてじさまを川へ落として鱈をとったのでしょう。




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