八百間堤 やな場境 千間堤
            (硲田)

 大河津村の下桐・硲田より寺泊町の大字夏戸・本山方面は今でこそ豊かな田地になっておりますが、昔はきりはら (霧原) の里といわれて、しばしば西越小木城の方から押してくる大水のために田畑が押し流されてしまいました。
 それで村々は、下流の方まで団結をしまして、八百間境、やな場堤、千間堤という長い堤防を川上の方から、この平野真申に向骨てつくりました。
 千間というとずいぶん長い堤防ですが、「それ大水だ」というと人々は土を詰めた俵などをこの堤防に積んで、出水を防いだそうです。それでもどうにもならず、水の勢いに負け、全ての作物は流されて、住民の生活は困窮の極にたっしてしまいました。田畑を売って米を貴い、草木の実を混ぜてつくったゴンダ汁をたべて、命をつないで来たのでありました。
 ですから今でもこの地方には冬働きとして、酒造りの杜氏が多く出稼ぎにでかけます、これもその当時の名残りでありましよう。
 落水の水路が開通し、山東用水組合の排水路が完成してから漸く洪水も防ぐことができるようになり、広い湛水田も美田となり今ではすっかり豊になりました。
 そしてわずかながらのこった千間、やな場、八百間堤が昔のありさまを想像させているのであります。
 *この堤防も圃場整備でその役目を終わり全て取り払われました。