燃える土と古溜  (竹森)
 今から一三八年程前、こんろんたちばなしげよ (昆崙橘茂世) によって書かれた「北越奇談」という本の中にこんな話がのっております。それは燃える土というのでいまで言う泥炭のような石炭の質の悪いものでしょうが、その燃える土が竹森の村からでたという詣です。 すなわち、「未山の南、西北の浜潟町のはとりの鵜の池、朝日の池、同じく柿崎のうら田より出る、又三島郡の竹森というところの用水溜や田の招からでた、これは上古の草根、木の葉が深く落ち重なって数千年を積み泥土のようになったものだ。村人はこれをあげて日に干して焚くときよく燃える、方々
にあるというけれども、日本書紀には天智天皇七年五月に越後の固から燃える土と水を献上したということがかいてあることから、大昔すでにこのふしぎ(一奇)をだした事は明らかだ」と古くから七不思議の一つにかぞえられています。今村の人々にきいても、「どこから出たかわからないが、多分こづつみ (古溜) という堤ではなかろうか」と言っておられるだけです。尚古溜は広さ八町ほどの他でありました。大河津駅から大河津小学校へ行く道端にありましたが、その古溜はもと鰐口部落のものであったのですが、堀越庄屋の頃、奉行所で何かのことで竹森へゆずりわたすことになり、そして堤を竹森へゆずりましたが、このお礼にオハギを竹森からもらったそうです。つまり境とおはぎと交換したわけですね、こんな伝説があります。しかしこの墟も、大河津分水ができ山東用水ができたために必要なくなり、埋めて田圃にしてしまいました。
*古溜はその後工場と住宅の団地に造成されました。