宮ヶ崎の池と怪亀  (高内)
 大河津村の高内部落にお城山と呼ばれる山の南側にやや広い池があります。そしてこれは宮ヶ崎の池と呼ばれております。
 どうしてここに池が出来たのでしょうか。これについては、「信濃川が昔洪水になった時、山沢の低地に水が溜ってできたのであろう」ということですが一説には、「いやそうでない、豪族が城をつくるときこの土を盛って山を築いた、その時に掘らわた跡で、そこに水が溜まり、またこれが敵をふせぐ掘りとなったものだ」と尤もらしい伝説もあります。
 そして「宮ヶ崎というのは見張ヶ崎、つまり城の見張り場であったことから名付けられたものであろう」というのであります。そして不思議なことに、この池の水は涸れたことがなく、村人がいくら水をかえよう(汲み出そう) として、ポンプを据え付けても、水は涸れず逆に雲が出て雨が降るありさまだということで、「これは池に主が居てそのたたりだ」なんという人もあらわれました。池の主は古い大亀だそうで、しかも背になにやら文字が刻まれており苔が生え、まことに奇怪な亀だということです。これについて高内の遠藤木亥さんはつぎのような話をして下さいました。「百数十年前にこの池に水死があり村人は萬善寺の和尚さんに願ってかんじょう(勧請)をしてもらつた。その際小亀を一匹買ってきて背に梵字を書き池の主として放した、それが成長し、今なお悠々と住んでいる」というのです。
 真夏の陽がカンカン照りつける下で、この話を聞きながら城山から池を見下ろし「なるはどなあ」と思いました。