不動尊眼病を直す  (硲田)
 大河津村大字硲田に名高い不動様がお奉りしてあります。そして、この不動堂は古くから硲田の鎮守様として親しまれて参りました。この堂の栄えたことは、温古の栞二十五篇にも「三島郡硲田村の上に、往古より国常立尊を祭りし一社あり、境内老杉蓊鬱たり。いつの頃よりか不動の仏祭を以てす。眼病を憂いるもの精進潔斉して祈念するに平癒せざるはなく。故に昼夜参詣のもの、踵を接す。」と記してあるほど信仰をあつめたものであります。ところが明治初年にこの村に小黒ツネさんという人がいました。
 その小黒ツネさん (小黒郷治さんの孫婆さん)がふとしたことで腿が腫れてしまいました。なかなか直りませんので不動様にすがって直そうと二十一日間の願かけをしました。いよいよ満願の朝、お参りしますと突然不動様のお告げがありました。「おまえの脚は直せない、かわりに一生食べてゆける方法を教えてやろう」と病はらいのまじないを授けました。それで、ばあさんは余生を不自由な身をもって病むひとのために祈りを捧げることにしたわけであります。「大聖不動明王・・・・」と不動のじゅもんを唱えながら患部または紙に真黒になるほど矢立で○に十の字をかき或は灸をすえました。特に眼病の人に評判がよく、いつも門前市をなす有様だったという事であります。
 お堂は夜ごもりの人々で埋まり、夏などは御礼の旗のぼりをつないでカヤにし、その中にこもったりしたとの事、夜毎に奉納された一〇八燈のちょうちんが輝き、まことに盛んでありました。眼病には薬も出しました。その秘薬は「カンゾ (甘草) にみょうご (茗荷) の根、塩、ブンドウ (山に自生する薬
草) の水」を調合したものでこれをとうすみでもってたでると眼病は忽ち平癒するとのことであります。
また、目にごみが入ってもばあさんはぺろりとなめてごみを出して下さったとの事です。
 しかし小黒さんも寿命には勝てず七十七歳で病床の人となりました、そしていよいよ臨終がきてもなかなか息をひきとらず、「がっくら」しているので神官榊原氏をよんで枕頭で「神もどし」 の祝詞を上げてもらいますとおつとめの終わらないうちに静かに息を引きとったとのことであります。
 不動尊の霊顛にあやかって諸病を直した小黒さんの名は不動様と共に永久に村の人々の間にその名を残す事でありましょう。