いつの間にか日没の時刻は7時を過ぎ、暮れには早すぎる沖に向かって次々と釣り船が出てゆく。
 昏れなずむ沖に点々と漁火が灯りはじめると緑の匂ひを含んだ風が山から静かに吹き下りてくる。
 僅かな空に残る明るさでかすかに見える佐渡の島影が闇の中に没したかと思うと今度は逆に島の裏側から天に向かって幾筋もの光房の群が立ちのぼって影絵のように島影が映し出される。
 この季節は一年中で一番海の静かな季節で波音ひとつしない夜の海は昼間の喧騒をすべて呑み込んで知らん顔と言った風である。
 ただ防波堤にたてば黒いうねりがすべるように近づく度にふうふうと不気味な音を立てながら昼のあらゆる出来事を海と言う異体知れない胃袋の中で消化しているような感じを受ける。
 その巨大な胃袋も今や燗れ疲れ果てている様子である。
 昨年初頭の原油流出事故でようやく海への関心が高まり、夏の海のシーズンへ向かって2回の町民や県外からのボランティアをふくめての清掃作業が行われた。
 同時に山へ落葉樹を植えて海に活力を与えようと言う運動が静かに動き始めている。
 栗など実のなる木を植えてそっちの方の楽しみも加えてゆこうと言う声もあり、景観も考えて潮風にも強いサクラを植えよう、樹齢百年は持つケヤキを植えようなどなど。又同時進行でアジサイ峠とも呼んだ人のある前坂のアジサイ、大和田から夏戸方面へ抜ける道のアジサイの復活、秋の寺泊を象徴する寺々の土手や公園のツワブキ、新道をツワブキ道路になど花を中心にした植栽運動など又行政を中心とした近隣町村協同の万本桜の運動など住み良い環境保存の活動が動き出したかに見える。
 町の主導で枯れた松の年次計画での伐採も始まり、ふる里が憲章にうたわれている緑に包まれ清らかな河川の流れと美しい海を町民自らの手で維持していこうと言う自覚の時であろうか。
 亡き人の記念、に新しい生命の誕生に、新しい人生のスタートにと一本づつの植栽が確実に豊かなふるさとを育てるのであろう。
 そんな気運の中で観光シーズンに向かって梅雨の晴れ間の21日海開きが挙行された。 砂像コンテストとは定着して、家族チーム、職場チーム、仲間チーム、町内チームなど町内外の常連組もあって初夏の一日を楽しむ良いイベントとなった。
 協力して一つの創造完成のよろこび、ジュースで乾杯ビールでの乾杯心身共に健康そのもの。
 アサリ拾いは計画段階でいつも問題になるところで、事故の起こらないのが不思議な程の混乱振りが例年の問題点、とは言うもののこれだけ期待されていては中止するわけにも行かず、チビッ子も大人の間でモミクチャになりながら頑張る。今年は少し波があったので砂浜での催しとなったが担当者一番苦労の多い所かも。
 魚の競り市も大繁況。ほとんどが地物のとれたて、タイ、アマダイ、アジ、イカ、コウグリにキスと今や旬の代物。
 専門家の間では食材の一番旬がものを言うのがこの魚で、これだけはゴマカシ様がないと言う。
 季節外れの珍しい物が珍重される時代であるがまさに魚は旬で食べるしか。
 梅雨の季節、飾り塩の効いたユダイの塩焼き、キラリと光るキスの刺身、肝の浮いたコウグリの味噌汁や鍋、鬱陶しさを吹き飛ばす寺泊の季節料理である。
 兎角不景気風のどんより居座ってしまった中で迎える夏であるが、観光協会では特に念入りに県外客への誘致キャラバンを進めている。
 かつて芸妓さん方を伴っての鳴り物入りでの賑やかなキャラバン時代も今はなつかしい昔語りであるが、常磐道開通初めての夏の成果はどのように展開してゆくか、昨秋今春のお客様の口込み如何も大きな鍵になりそうな予感がする。
 各市町村の海の家には己に開館して夏本番に先だって子供達の歓声が海辺を賑わせはじめている。
 折角寺泊の海を楽しみに来て下さるお客様にせめてお天気に恵まれた夏になうよう祈るのみである。
 第49回目となった両泊親善の大会も目前。今年は寺泊が会場の年、各スポーツ団体では歓迎の準備が進んでいる。この大会を境に一気に夏の気配が感じられる季節となるのだが、今宵の沖は梅雨のしっとりとした雨に漁火が滲んでいる。