弥彦山が三べん白くなると、浜にも雪が降るといわれたもんだが、今年ばかりは十一月半ばにして、いきなり十セソチの積雪になった。勤労感謝の連休前だったので、あわててタイヤをかえた人もおおかったろう。雪ばかりか台風なみの突風はいろいろな被害をもたらしていったようだ。
 いやカワラが飛んだ、ビニールハウスがやられた、お寺のイチョウやマツが倒れて墓を傷払たなど、いろんな話を開く。通勤通学の越後線は五千石橋の突風に弱くて、佐津航路の「えっさ丸」 以上にストップするこしばしばである。
 だいたい今年はいわゆる秋らしい秋日和がなかったのではあるまいか。日本海を黄金色に塾めてジリジリ真っ赤にしずんでいく「つるべ落とし」 のお日様を、何日拝めることができたことか。夏から一気に冬がやってきたという感じなのである。
 天変地異は裏山にも始まったようで、山の生き物の代表格タヌキは里におりてきて、もう、ちっとも珍しくはなくなった。よる夜中けたたましい獣の声で目を覚ますと、五匹のタヌキが入り乱れて組張り争いをしているではないか。ネコとタヌキのけんかなら、軍配はネコの勝ちで、タヌキの立場からすると、山をおわれゴーラネコにいびられて、寺泊は決して住みよい町とは言えないのである。
 猟も解禁になって、一羽のおお鴨が分水を追われてやってきたものやら、仲間とはぐれたものやら、こともあろうに住職につかまってしまった。
今夜は鴨鍋で一杯いこかと考えたが、袈裟をまとう身にとってとても首を締められたものではない。ゴーラネコに気をつけてとさとし山へ放った。 鴨がさったと思ったら今度は黒サギが朝な夕な現れる。池に七十匹いた鯉がいつのまにか数匹に激減しているではないか。気が付いたときには後のまつり。この黒サギの仕ワザだったのである。とくに池が澄む冬季は油断禁物。糸を張ってみたもののこれではせっかくの名園も情緒半減である。
 山から下りてきたのは動物ばかりではない。キノコも山を追われたのか、白シメジがこの庭にこんもり頗を出すようになった。ナラタケ通称のきばごけなど、大ザルにいくつもとれて、日頃みそ汁ばなれの呪代っ子も五杯おかわりのコケコケ三昧の秋だった。
 松が枯れ山が荒れたせいで、昔ながらのずらんぼ、松筆というわけにはいかないが、杉林にはカタヒラがまだまだ健在。
不謹慎な話だが、以前年寄りが山で行方不明になったことがあった。その換査に山にはいって、カタヒラのでる沢を発見した。いらい時期が来ると自然と足がそこに向く。キノコのほうでも「まっていたよ」と語りかけてくるのが不思議である。
海好き山好きというのはそんなものかもしれない。海が呼んでいる。山が呼んでいる。寺泊から見える山はたいがい登った。
弥彦、国上、角田山、越後平野についたてのようにそびえる粟ガ岳、守門、五頭、米山。さらに足をのばして谷川岳、妙高、白馬、雨飾山と日本百名山にかぞえられる名峰はいくらでもある。たいがいそんな山々には出湯がつきもので、シリのおもい女房には日がなお湯につかってもらい、健脚をふるう。残雪のころ、そして紅葉のころプラッと出かけるのいいものである。
 しかしその山々にも具っ白た雪がきた。報恩講がおわればまっすぐに師走。そして年の瀬がくれば除夜の鐘がなり響く。
つらい風にもあたった、難儀た目にもあったが、ご恩ご恩の鐘でしめくくりたいもの。