この時期になると良寛様の歌がおもえてくる。寺泊にてよめる、「こきはしる鱈にもわれは似たるかも、あしたには上にのぼり、かげろうの夕さりくればくだるなりけり」
 俗人が一年中ボトボトしてるのと異なり、町のかみしもを托鉢して歩かれた良覚様の姿を紡彿とさせられるが、自分をタラにたとえられるあたりがこころにくい。
 ここから良覚の詩情の世界にはいれればリッパということになるが、やはり祝っからのグウタラ。梅干しと聞いただけで生ツバが出るように、夕餉のにおいでおお、タラ汁かと五臓六腑がおどる。ギンギンしたタラが店頭にならぷ時期がやってきた。しかしいかせん家内は山がふるさとの野菜派で、タラはタラでも長岡ジャスコからと、ついでのようにのたもう。
 まあ夫婦でもあまり好みが魁ると、かたよるのでバランスがとれているということでしょうか。それにしても三度三度、子供から老夫婦まで満足させようにはどうしてどうしてお母さんはたいていでない。おふくろとはよく言ったものだと思う。
一年でも一番野菜が豊富に出回るこの時期、よく腕を振るってくれるのが筑前煮というのでしょうか、ニンジン、ゴボウ、蓮根、里芋、堆草、コソニャク、ちくわなどを油で煮っころがしたものです。どれも食材としては子供受けしないのですが、時間をかけ、こってりと仕上げると、それぞれの野菜の風味をうまくひきだしてくれるのです。
 家庭もかくあらん。クセのある人間どうしをあたたかくつつんでくれるのがおふくろさんではないでしょうか。