戸籍は婚姻によって分家届けをしなければならない。
 その為には,戸籍の所在場所,すなわち本籍を何処にするかを決める必要がある。
 本籍は本来定住地であり,又先祖代々の噴墓の地であって,特殊な縁故のある場所に定められるものと常識的にはされていたが,私の婚姻当時,己に日本の領域であれば,いづれの場所に定めるのも全く自由とされていた。
 私の分家手続きは,私が内務省下関土木出張所(現建設省九州地方建設局)関門トンネル建設事務所に在勤中のことで,下関市に住んでいた時である。

 私は分家するとき次のような考え方から,本籍を本家の一番地しも隣りの仮空の「寺泊町大字寺泊字上田町八一九五番地」に置いた。
 人の性格は,生れ育った地の気候風土と,生活環境によって培われるものであると言われる。
私は寺泊で生れたものの,間もなく東京に連れてこられたのであるから,表日本の影響の方がとも言えるが,祖先以来の寺泊で生を受け継いで来た両親からの血の方が濃く,やはり雪国人である。
 当時の決断は,将来いづこの地に落ち着くか分からないが,たとえ,九州に住み続けることがあっても,お付合い下さる方々に「私は,雪国の血を受けた者ですから,その積もりで宜しくお付合を」と,宣言しておく意味を込めた訳である。

 本籍を不在の寺泊に置いておくことは,戸籍謄本等を必要とする度に何かと不便をするが,それは覚悟の上であって,私が受けている精神衛生上の恩恵は大きく,誠に有難いものがある。
住民税を一銭を納めずに手間のみ掛けさせて,町役場には申訳なく思っている。
 しかし,いま暫らくの間このままでお許し願いたい。

 寺泊出身の一門の長老として先祖について知るところを記録に残こしておこうと筆を執られた記録から後書きに当たる部分を拝借掲載させて頂いた。
 掲載についての許可も頂かなかったので匿名にさせて頂くこととしたい。
 こんな形でのふる里との付き合いもあるのだと大変興味をそそられた。