眼もクチも横なぐりの粉雪でふさがれ、強い風に吹きとばされそうになりながら、
大ミソカの晩は、寺泊町が一瞬の内に、銀世界。
それでも二年まいりの車のライトが道につながった。年よりの姿は、全くない。外をながめて老人の足がすくんでしまった。
お寺はどれも山の上。鐘つきにくる若者の大部分が中学生、高校生。女の子もグループでくる。
カガリ火をつけて鐘つき堂にアカリをとろう、火をつけるあとから消される。
カガリ火には、ともしたあげくのローソク。消されても、消されても根気よくつけにかかる。
雪をあびなから、カガリ火が燃えあがる。
若ものたちが歓声をあげながら一人で二度も三度もつく。
百八ッどこかや、鐘は若さにゆれなから、年明けのどよめきとなる。
いつもくる老人老女のッキがなく、鐘のひびきに若さがたぎってゆく。近くのあずまやで、寺の嫁が甘酒わかして若者たちに接待。
甘酒では、モノ足らん若衆は、カソ酒、ヒヤ酒ひっかけて、赤い顔になって退出。
風雪の年明けを神社仏閣に詣でる若さがことぶく。
寺々の本堂におまいりする人たちは、本堂に年中張り出されている「我が屋のアタリ年忌」を見てゆくのも二年まいりのットメになっている。
親が死ぬと、兄弟たちの足が遠のく。せめて親の年忌あたり年ぐらいは、兄弟をよぶ人が多い。ことしはくるこないは、人の勝手だが、よぶだけはよびなせとは、愛妻のコトバ。御モットモ。