主として、となりの分水町や弥彦村や巻町にあるお湯の里は、
むかしの銭湯なみの手がるなフロヤさん。
ホテルの温泉は、泊らねはならんし、銭湯なみの気がるさがないから、かろくゆけない。日帰りのグループ銭湯は、
送迎までしてくれるところもあって冬場の老人たちのあたたかい社交場。
名前まで「じょんのび」の呼び名のお湯もあって、このところ冬場の桃源境。
寺泊町の農村部では、所によってとなりからとなりまで、オフロ場が豪華になった。
二十四時間ブロと称して終日お湯がウズまいて、
ながながとからだのはして、水玉さいずらして温度調節しながら入浴がたのしめる。
自家ぶる普及率九七パーセントの世の中になって、
一日の疲れをいやすどころか、朝ブロにつかって、ヒルゴハンのあとに入って、夜寝る前にあったまってフトソ入り。
ところが、東京始め大都会ではフロで発病して救急車の出動が多いとか。
寺泊でも、一ッの寺で、檀家の老人三人が去年死なれたとか。昔はタキモノ倹約で、農家では「まわり番ブロ」が多かった。
時分使いというて、フロがあくと、入浴許しの案内役に子供かっかわれた。
ひろいフロ場のとれない屋並みの街では、湯船のお湯を一人入ることにすてて新しいお湯をだすうちもある。
ふつう入る前に、よく洗って、湯船をけがきぬよう、タオルも入れない「おきて」をまもる家庭が多い。
それにしても、昔の銭湯が恋しい。
寺泊の浜には、銭湯は想い出になってしまった。東京で成功者といわれる新潟県人は、フロヤが多かった。ナニシロ新潟県人は、働らきもの、シンボウもので通った時代があった。
今はマゼモソが多いから、昔のおもかげがうすれた