年があげて、漁の始まりは天候でおくれた。
それでも、信濃川分水河口の野積橋附近では、河漁師が水シブキにむかってアミを投げている。
ここで遭難した人々もあるので、極めて細心の気くはり。前に、NHKの小さな旅のテレビで、
河漁師が冬のアレの最中に、とりあげた鮭を神仏に奉納するシーンがあり、それから毎年この時期がくると鮭が奉納される。
命がけの漁作業。
投げたアミに引きずりこまれたら最后。
河の強烈な水勢にまけない意志と体力がモノをいう。
新年になってから、天候がおちつかなくて、一般の「イソミ漁」は、休みが多かった。
タコは、かなりとれてお正月の食卓をうるおしたが、一番うまい鱈がとれない。タマにとれても、一匹金二千円ナリとか。
昔は、タラのニッケを重箱につめて、東京の子供にとどけたもんだ。東京では、たべられないお正月のタラのニツケだった。東京にいる子は、母の愛情に涙にムセんたて話だ。その子も親里に帰ってくると、種々親心で、なにかと小言をいうもんだから「遠くにいると涙がにじむが、近くにくるとムカつく。でも、母さん愛してるよ」
「母さんよ。女房は他国モンなのに、母さんに、めっきり似てきた。ほんとに、困ったもんだ。」