夜逃げをしたニケ村  (岩方)
 
 岩方部落のとなりに昔ニケ村という小さな村がありました。ところが今はそんな部落ほ大河津村にありませんね、いつのまにかなくなってしまったのです。
 「馬鹿なそんな事が」と考えられましても実際分らないのですから仕方がありません。
 けれどもこれには一つの伝説があります。岩方のすぐ南に与板がありますが、与板には城がありました。 上杉謙信の家来で野心家の直江山城守がこの与板城主になって来た時、城の束を流れる川々の向きをかえて内掘りに、信濃川を外濠にして流れを山の方へ向けたために、信濃川の下流の流れが変わり、馬越村、岩方村の山際へ川が寄り、次第に土地が川欠きのため崩れるようになり、城は堅固になりましたが、村々は田畑や屋敷まで奪われるようになりましたそれでもニケ村の人々は殿様のなさる事には文句をつけられず泣き寝入りの有様でした。 ますます川は村々を流してしまいますので村人は堪らず、皆で相談して、村をあげて移転することにしたのであります。

 巻町の近くに、二箇村という村がありますね。それが岩方のニケ村だったそうです。岩方では、江戸時代の終わりまで土地の一部が残っていたので、長岡領ニケ村外新田として土地の名前はのこっていま した、そして今もなおニケ村百姓として二ケ村の名は残っているということです。