矢田にあった長岡の蔵王堂  (矢田)

 長岡市の蔵王様はたいていの人が知っていますが、その蔵王権現がその昔矢田部落にあった事を知る人は少ないと思います。蔵王権現は和銅年間に古志郡糠沢(今の塩谷) に吉野よりはるばる現れ、祀られていましたが、保元の乱の頃矢田に移ったというのであります。その後仁治三年(一二四三) と申しますから、今から七百有余年前に、現在の長岡に移ったというのであります。 矢田では大字高山という土地に境内地をもうけて社地として長らく保存されていましたが、明治十七年頃に今の神社に合祀されました。そして今から数代前までは、長岡の蔵王様の祭り七月十五日になると、矢田の山崎家の当主が長岡へ出向いて、奥の院の扉を開けたということであります。なぜ有名な蔵王堂が此地に移ってきたのかについて、長岡の松谷時太郎さんは、「恐らくある勢力の圧迫にたえられないで、逃げたのではあるまいか」といっておられるだけで、詳しいことはわかりません。
 矢田の村は古い々々と言われるのも、この高山の蔵王様を中心に矢田の盛えた事を偲べば、もづともと領かれるのでありますが、今は山の上に塚を残すのみとなってしまいました。