仏山と稚児の池  (馬越)
 馬越の光源専横は、いま鳥越の南谷と言うところにありますが、その昔は和島村と大河津村の境になっている七十刈という山の辺にあったと伝えられています。
 ですから七十刈の地を仏山と呼び五万分の一の地図にも仏山(一三六・三ニm)と記されています。
 仏山の頂上には経塚という塚がありまして先年北野部落の油屋の人が塚を欠いたところ湯呑を一つ手に入れられたとの事です。
 また仏山の頂き近くに稚児の地というのがあります、今は田圃になっていますが、「この寺に日夜一人の稚児が仕えていて時々下へおりて沢の人々にたくはつしてあるかれた、ところが矢田の部落の人々は人情が厚く、他の村よりも大事にしてくれるので、その恩に感じ、この他の水を矢田の田んぼに多く落としてやるようになった。それで他の村々が水不足の時でも矢田はいつも水に困った事がなかった。
 稚児が死んでもずーとそうなので他の中央に塚を築き稚児の霊を慰めた」こんな伝説があります、事実小さな塚が今なお田の真申に築かれています。
 又この山の中腹に釣鐘池というのがあります、与板が見下せる景色のよいところですがこの他にも次のような話があります。
 「昔、寺の住職が他のふちを通られたら釣鐘が他に浮いていたのでおどろいて引上げようとしたが一人ではどうにもならず、山をかけおり村人に応援を求めましたが、戻ってみたらもうなかった。
 しかし今から三十年程前に、ある人が木で地を突いたところ水の底からゴーン、ゴーンとにぶい音がした」そうです、そしてもう一つ材木池というのがあります。
 昔、寺を立てる用材をつけておいた地で、今も他の底に古材が埋まっているとのことであります、この他は村の所有地のうちにあって、ひでりに雨乞いをしてこの池を切ると不思議にも雨が降出すという信仰を持った池であります」信仰と伝説につつまれた仏山のお話はこれで終わります。