かますにざくざくの古銭(求草)
 大河津小学校のうら山へ登りますと求草へ出る山道があります、しばらくゆきますと左手にこうしんづか (庚申塚) があります。
 明治の中頃に北曽根の河村さんがこの(庚塚)のあたりでくえずにしようと、木の根っこを掘っていますと「ざくっ」と音を立てて鍬がささりました、見ると本物のぜに(銭)ではありませんか。
 しかもそれはかますに一つもあったのです、土のなかにお金が埋っているなんて、まるで花咲じいさんみたいな話しですね。銅銭二貫目位がかますに詰まったままです。殆どが宗代の支那銭で日本では室町時代から江戸時代にかけて広く通用した銭であります、誰が何のために埋めたのか、またいつごろ埋められたのかはっきりしませんが戦国時代の頃か、上杉遺民一揆のときか、とにかく世の中が乱れ、どうなるかわからないという恐ろしさから山の中に埋めて、その後掘り返すことが出来ないうちに埋めた人が亡くなってしまったものでしょう。山は故藤田善太夫さんのところのものでありますので古銭は分けて、藤田さんと河村さんがもっておられます。
 河村さんのところのものから銭の文字を判断しますと、祥符元宝、○平元宝、淳野元宝、景徳元宝、至元通宝、嘉裕通宝、天稽通宝、など四〇種位もあります、珍しいことですね。
*くえず…木の切り株を掘り出して燃料にすもの。