行人塚と地蔵塚  (入軽井と求草)
◎ 行 人 塚
待人塚と呼ばれる塚が入軽井の軽井郷神社裏の山上にあります。一名定塚(じょうづか)ともいうそうですが、伝説によりますと、昔から入軽井・矢田は栄えておって出雲崎へゆく大切な道路があり、文化や交通、宗教の一大中心地であったようであります。
 それですから高田城の上杉家も心配して武士をこの地に派遣し、姿は行人のようによそおって地方の監視役をさせたわけであります、行人は寺子屋などをひらいて、このあたりの子供等の教育にも尽くされたので村人からも尊敬されていたのですが、ついにこの地で亡くなられたため丁寧に埋葬しました。この塚を行人塚と呼ぶようになったとのことであります。
 *行 人・・・修行僧・修験者



◎ 地 蔵 塚
 横崎山からの山通りでニッ塚を通って五社に出る山道に地蔵塚があります。
 これは行人が行きたおれて死んだので塚を築いて埋め、地蔵様をまつったのであります。それで村人は地蔵塚とよぶようになったのですが、静かな時ここを通ると塚の中から鐘をうつ 「チーン、チーン」という音がかすかに聞こえるということであります。