お見うけするところ、皆さんは関西の都会ぐらしのお方が大勢おられますが、私は、新潟県の中央海岸の浜ぐらし。日本海を庭にしています。皆さんの多くは、朝おめざめの時は、おそらく林立するビルの中心地でないかと思います。新潟の浜では、朝3時にホトトギスがねむりをさまし、5時にはウグイスが呼びかけ、6時となると狸が山に帰り、佐渡ケ島をながえめて歯をみがき、強い山ユリの芳香のただようウラ山に小鳥の声を聞く毎日です。
 都会の中心地においでの皆様はゆたかな経済が街をうるおしておりましょうが、新潟の浜では自然のおりなすリズムにみちたりて、人生をたのしんでおります。
 風呂に入っても金波銀波の夕陽をたのしみ、時に、日本海に横たわる佐渡ケ島の寝そべる姿に心をそそぎます。
佐渡おけさと申す民謡の一節を紹介しましょう。
あゝ 雪の新潟
 吹雪にくれてよ
佐渡は 寝たかよ
 灯りが 見えぬ
佐渡ケ島は、本土から32キロの波の上。ながながとよこたわっている寝姿をみせております。
 荒波や、佐渡によことう
  天の川
「バショ」の句の通り、詩情ゆたかな浜でございます。みなさんごらんの通り、私のような高齢のトシに似合わぬフレッシュなネクタイをご覧下さい。
あとで、ビールをつぎながら、おそばに参りますから、トクとご覧下さい。
つい二時間ほど前、早くホテルについたものですから、近くの四条カワラ町のデパート「高島屋」にまいりました。
6階の紳士服売場にあがり、店員にネクタイ売場をききましたら、案内してくれて、眼にとまったのがこのネクタイでございました。
第一印象としては、寝ている佐渡ケ島、そして日本海にうかぶ夜の漁り火の二ツ三ツ。そしてさざ波の起伏。このデザインは、全く私のながめる寺泊浜を演出しておりますので、早速その場で、ネクタイを取り替え、今席に出てきたわけでございます。
このデパート高島屋から、北東に300メートルほどに、ポント町がございます。
今から140年ほど前に、私の寺泊浜から勤王の志士で本間精一郎という人物が、8人の暗殺隊に殺されたところで、京都市の史跡の碑が建てられております。
今テレビの徳川慶喜。
本間は、皇女和宮の将軍降嫁に反対して活躍した「時の大物」で彼の政治的圧力で、後の右大臣岩倉具視が坊さんに変身して身をかくしたほどの大人物だったのですが、生まれが士族でなく、寺泊浜の商人の息子ということで、各藩のの壯士たちに憎まれて殺されたわけです。
彼の遺体は、ポント町を流れる高瀬川に投げ込まれました。
このネクタイは、加茂の流れや、高瀬川を流れる川のほとり、西陣織りでつくられたもので、140年前、ふるさとの寺泊浜をなつかしみながら28歳の命を終わった本間精一郎の望郷の想いが、ネクタイのデザインに通うたのでないかと、つまらぬ幻想を感じておる次第です。(以下省略)