いつ頃からか毎年掛け替えられる白山官の〆縄は,新年に本厄を迎える四十二歳の男達の奉納と言うことになった。
 今度の厄年は昭和三十三年,三十四年の生れ年に当たる。
 今年は前厄と言うことで何かと下働き接待役に終始しただけに,さて本厄本番と早々に会議を開いて,集る度に話ははずみ過ぎて又集まると言った塩梅はいづれの年も同じことで,数回重ねた会合で委員長が決まり事務局が決まる。
 今回は委員長外山和人君,事務局小林孝一君と小川克巳君とのこと。
 新しい〆縄も完成して愈々二十日の日曜日を選んで飾り付けと言うことで例年の如く取材と思っていたのだが,残念乍ら当紙印刷をお願いしている会社は年賀状やら年末年始の印刷物に追われて原稿早く送るようにとの催促を貰っている関係上写真掲載が間に合わなくなりお許し頂き度い。
 白山官以外の各町内の鳥居の〆縄はそれぞれ所属する町内で準備される。
 地域の結びつきが疎遠になりつつある中で,この様な〆縄作りなどの協同作業が結びつきの役割を果たしているようだ。
 勿論一つの神社を維持してゆくことは仲々大変で何をするにつけ経費の問題,人手の問題と解決してゆかなければならないことは多いようだが,季節季節の祭り,特に春の大祭等各町内では常会役員に神社係を置いて対応しているようである。
 神社を中心とした祭り等の催事はその地域を流れつづけて来た伝統であり文化であり,その中でそれぞれの生命が育くまれてきたのである。
 各町内毎に工夫をこらし協力し合って今頃はみな〆縄が出来上がりこれ又飾り付けの日を待つと言ったところであろう。
 〆縄作りをする日を決めるのに集って一杯。
 いよいよ当日に向っての下準備に集って一杯。
 勿論当日は始めるに当って一杯,完成した慰労に一杯と仲々こちらも大変なようである。
 私も今日は暇かと電話を貰った。おおよその見当はついていたが町内会館に行って見ると,明日の〆縄作り当日へ向って景気付けに鴨汁で一杯と言うことで御馳走になった。
 ふと先月号の山へ放ったと言う鴨のことが思われた。
 無事逃げおうせたであろうか,今時鉄砲打ちも多い故。