あとがき 師走に入るとやはり吹き荒れる日が多くなる〕 かつてこの季節は海からの風の当たるところは風当てと称する簾で囲って風と雪を防ぎ,その内側には沢庵用の大根や干菜がぶら下げられて雪の季節を凌ぐ用意がなされたのだが,海からも遠くなり又サッシ等の風をさえぎる建材の変化で,風当てと言う風物はほとんど無くなった。
 毎年材料を補給しながらこのスタイルを守っている僅かの家々にはこの町の住民でさえ物珍らしげに立ち止って眺める程。
 特に寺の冬囲いともなれば,縁の下に格納されていた百本にも及ぶ樽木が運び出されて,数人掛かりで幾日もかかっての作業となって,子供達は山門やら本堂にぐるりと囲いが廻されると絶好の遊び場を得て,学校が終るのを待って集って囲いの中の薄暗がりの中で,コマや鬼ごっこ,時には車座になって聊かバクチめいた遊びでメンコやブロマイドなとのやり取りに興じたものである。 最近の学校でのやり切れない状況を耳にするにつけ,かつての貧しく逞しかった時代がいよいよなつかしく思い出されて仕方ないのはやはり年のせいなのであろうか。
 貧しさ故にだんだんに正月の近づいて来るのが無精に楽しく,餅つきともなればもう寝てなんとおれず一家総出の早起きとなり,あっちからもこっちからも聞こえてくる杵の音に胸震える思いをしたものである。
 搗き立ての餅を臼からひねり取って貰いキナコや大根下ろしで頂いたあのうまさ,あの幸福感。囲炉裏のめぐらに集り,又炬燵には沢山の足が突込まれて押したり引っ張ったりで大賑わい。
 やがて雪でも降り出せばこれ又それぞれの町内のたまり場に集って,足駄の先で器用に雪をこねて作った雪玉の割りごっくら。なつかしいあの日々を思う中で今年もあと数日。